岡崎 じゃあイタリアから帰ってきて靴を?この、今テーブルに置いてあるのが僕が初めて買わせていただいたものなんですけど…
本池 1632っていうウチの一番スタンダードの、今僕も履いてるけど!(笑)このルーツは何かっていうと父親が作ってる人形が履いてる靴がベースなんだよね。
岡崎 え!そうなんですか!
本池 うん。イメージは父親が作ってきた人形だったり革の雰囲気。父親の人形も手染めなの。セピアっぽい人形で。この子供やおじさんの人形が履いてる靴がこれなの。僕が唯一受けたカルチャーは父親の人形の世界観。だからこの靴が出来たっていう背景があって。例えるなら皆がブリティッシュやアメリカが好きだなーとか、スケーターが好き!みたいなのがそれだよね。父親の作る世界観が『MOTO』のイメージの原点。
岡崎 うわ、すごい。暖かい話ですね。
本池 人形作家になんなくても、こういった形で父親がやり続けてきた人形作家を継承できてるんじゃないかなって、僕なりの解釈をしてるんだけど。
岡崎 お父さんはお父さんで別ラインで他のアイテムなんかも作られてますよね。
本池 そうそう、そうなの。父親であくまで人形作家なの。ただ、人形と同時に並行してバッグとかサロンも開設してたから、オーダーを受けてバッグを作ったりそういった活動もしてたね。僕らはその技術の両方を見ることができた。ただ100%レディースだからねお客さん。
岡崎 女性のみだったんですか?
本池 もう本当に100%。ルーツはレディースなんだよね。だから僕らが作ってるのって粗くないでしょ。結構品がある。
岡崎 柔らかいですよね。
本池 根本的な技術はレディースで。カッティングとかも全部。優しいんだよね。だから男女問わず意外に履きやすかったりするモデルになってる。
岡崎 それも含めて継承してるってことですよね。
本池 そうそうそう。ベースは。ウォレットもそうだけど、バイカーウォレットとはちょっと違う。メンズでハードな部分はあるけれど何か『MOTO』の製品って品があるよなーとかみんな漠然と感じて気に入ってくれてる気がしてるんだけど。だから別にバイカーじゃなくても持てるよねとか、ジップウォレットなんかでも『MOTO』のだと持ちやすいみたいなのはよく言ってもらえる。
岡崎 僕ずっとこの1632を気に入ってて、自分でお店をする時は絶対にやらせてもらいたいってのはあったんです。『MOTO』の靴って男っぽ過ぎることもないし可愛すぎることもない、ちょうどいいところで全アイテムがまとまっていて、それがずっとブレずに作り出されていて。どういった感覚で作られてるのかが凄く気になってて。
本池 ブランディングとしては、そのバランスのいいとこピンポイントで狙うってのは全くしてなくて、これはこうやるんだみたいなそういう計算て一切ないかな。
岡崎 臨機応変にって感じなんですね。
本池 まあねー、そこらをそのまま出していくには、東京でってなるといい部分も悪い部分もあるんだけど。んー、悪いっていうか損する部分もあるんだけど。ただ『MOTO』のスタートは鳥取で、そこは田舎じゃん。鳥取で活動すると、人口が一番少ない県っていう部分だけで見るとね、まだ完全にブランディングされてないっていう所が凄くフィットする。これはこうやるんだってガーって狙うブランディングの仕方って結構怖いっていうか。何でもちょっとだけクセがある方が楽だし好きなんだよ。
岡崎 地元の鳥取から始まって、東京でやるっていう経緯は?
本池 実は生まれが東京で、幼稚園まで。父親が学生の時の子供なんで、大学生の時の。だからワンルームみたいな超狭い部屋でね、大学生の親父と母親と俺でさ、聞くも涙みたいな話でさー(笑)で、小学校になって鳥取で生活。イタリアから帰ってきて23歳の時にお店を始めるんだけど、途中で人に言われたんだよね、単純に。東京出た方がいいよって感じで。それは知り合いでもなんでもない人。東京で。
岡崎 じゃあその知らない人からの声で?
本池 うん。高島屋とかでよくやってるじゃん、地元の作家展みたいなの。期間限定で。それに声がかかってね。実演とかしながら個展をやらないかって話で。そこで言われたの。お客さんに。そういう場所っていつもと全く客層が違うんだよね、いろんな人がいて。あーこんなことやってんの?みたいな感じで気軽に声も掛けられるわけさ。僕も行く人行く人にあーやってこーやって自分で作ってるんですみたいなこと言って。そしたらだよ。突然アロハ着たヒゲ生えたおじさんに言われたの。作ってんのー?東京絶対行った方がいいよー。って。何も買うこともなく(笑)なんていうの?小石につまずくみたいな感じでさ。
ほんときっかけってそんな感じで。言われたのが27歳だったんだけどそこから2年後かな、今のとこに移ったのは。東京にはしょっちゅう来てたから、来たらまあちょっと物件なんか探したりして高いなーみたいなのを2年ぐらいかけてようやく見つけた。ここいいなあ!って。東京で一旗とかそういった意気込んだ感じじゃなく、自然に。というか全部人きっかけ。人がうまく運んでくれると思ってて。基本的には自分がやってることは只々作る、今もそうだけどここは変わんない。でも色んな人と触れ合う事によってこうやって岡崎君とするイベントが決まったり、色々話したり。一瞬で自分の次の何かが決まっちゃうかもしれないっていうのがいいよね。無理にこうしたいとかは全くないの。あくまで流れに乗ってみるって感じが好きかな。
岡崎 それは小さい頃に思ってた、自分は何かしら「ものづくり」するんだろうなっていうのと似てません?
本池 そうだね。だから俺はどちらかというと掴みに行くって事はすすんでしないかな。でも相手が来て欲しいとか言われるものですべてが決まる。例えばアスリートとかもきっとそうだけど、日本でめちゃくちゃ足の速い6、7人が全日本の大会出るわけでしょ。その6、7人が山奥にいるってなったらそれは呼ばれるじゃんみたいな。
岡崎 必然ですね。
本池 凄ければ呼ばれるよ、みたいな。呼ばれなかったらそれぐらいでしょみたいな。極端かもしれないけれどそう思いながらずっと物を作ってきた。田舎にいるとか東京にいるとか関係なくて。鳥取でまだ何者でもないような時から作りながら、今イタリアやパリで自分と同い年ぐらいのやつが自分と同じように「ものづくり」してるやつがいるはずだって思ってた。今まさにインドで!とかね。いつか会った時に、お前今まで何やってたの?って言われないようにしっかりやろうって鳥取の田舎で一人夜な夜な考えながら作業してた。分かっちゃうじゃん、作った物を見れば。そいつがどういうふうに生きてきたかってのも分かっちゃう、出ちゃうわけだから。田舎も都会も関係ないんだよっていうのはそこ。凄いやつは田舎にいたって凄いでしょ。