今やSLOW&STAEDY新年の恒例行事となりつつある『Native American Jewellery Fair』1年を無事に過ごすためのお守り。または自分を鼓舞するためにと、それぞれの理由を胸に楽しみにしてくださる方が非常に多く毎年好評いただいております。そんな唯一無二の存在感を放つこのアイテムの裏には、複雑な歴史背景やアーティスト達の苦悩や並々ならぬ努力があります。今回は当店が毎年作品を譲っていただいており、20年以上このネイティブアメリカンジュエリーの世界を見続けている、GOD TRADING 代表の今井氏にネイティブアメリカンジュエリーの世界、そして魅力について語っていただきました。
岡崎 まずはお店のことからお伺いします。お店はいつから始められたんですか?
今井 お店は、1995年10月1日に創業しました。
岡崎 じゃあもう22~23年?
今井 そうですね。今年で23年。24年目を迎えます。
岡崎 場所は最初からここで?
今井 いや、はじめは別の場所でした。
岡崎 東京ですか?
今井 はい。東京は北区で創業しました。
岡崎 そうなんですね。
今井 はい。ですから今のここ恵比寿では1997年3月からです。
岡崎 自分の店がようやく5年なんですが、それを考えると改めて凄いっすね…。20年以上この業界(ネイティブアメリカンジュエリー)を見続けてきたんですね。これは以前今井さんに少しお話を聞いたことなんですが、このお店をする前はアパレル業界に居たんですよね。このお店を始める前の今井さんのことをお伺いしていきたいのですが。
今井 はい。某スポーツメーカーでデザインの仕事をしておりました。
岡崎 じゃあその頃からこのネイティブアメリカンジュエリーの世界に興味はあったということですか?
今井 はい。興味があったというよりはすでに愛用、愛着しておりました。会社に身につけていってましたから(笑)
岡崎 (笑)その頃っていうのは自分の好きなジュエリーを自分で買って持ってたってことですよね?
今井 そうですね。それも数多く。両腕にブレスレット7~8本づつぐらい、リングは片方に1点づつ、数点のペンダントにネックネスにバックルに…。付けてましたね(笑)ネイティブアメリカンの世界、特にジュエリーに対して本格的に興味を持ち始めたのは私が高校生の時。当時はまだ少数派でした、この世界のジュエリーをつけていた者は。
岡崎 そうなんですね(笑)その当時でも販売しているお店はあったんですか?
今井 はい。数店のそれも小さなお店でした。今は無くなってしまっておりますが。
岡崎 じゃあ、高校生の頃からこの世界を好きになって、スポーツメーカーでデザインの仕事もしながら、今井さん自身の中でいつかは自分でこの世界のジュエリーを専門でやろうって決めてたんですか?
今井 正直そこまで決めていたわけではありません。高校卒業後、服飾専門学校でデザインを学び、某スポーツメーカーで働いていましたが1年で辞めてしまいました(笑) その後、東京のアパレルメーカーに入社するも社長とうまが合わず2ヶ月で辞めたんです。若気の至りと言いましょうか(笑)で、その後はシルバー関係の鋳造の工場で働いて。そこで鋳造の行程から蝋(ロー)付けそして仕上げまでシルバーアクセサリー生産のすべての行程を学びました。
岡崎 スポーツメーカー、アパレルメーカーでのデザイン、そしてシルバーアクセサリー制作に携わってこられて、それこそ満を持して北区でお店をオープンされたんですね。
今井 はい。ですが結果、その店舗も1年で閉店してしまいましたが(笑)
岡崎 えっ。そうなんですか?
奥様 立地もそんなに良い場所ではなかったしね。
今井 北区内ではあったのですが、店舗はマンションの一階。そのマンションの最上階にはオーナーが住んでまして。当時は私も来店くださるお客様もハーレーに乗っていらっしゃる方が多く、当初22時ぐらいまで営業しておりましたから近隣住民の方やオーナーから騒音がうるさいと苦情が殺到してしまいまして(笑)
岡崎 そもそもそのお店ではバイカースタイル関連の洋服なんかがメインだったんですか?ジュエリー類はそのお店でも扱っていたんですか?
今井 開店当初は正直、ジュエリーが高くて買えなかったです。本当に少量だけでした。私もハーレーに乗っておりましたのでメインはバイクのウェアーやウエスコ、ホワイツであったり自分が好きで着ているもの、身につけているものを販売するといった形でスタートしました。ネイティブアメリカンジュエリーを専門で扱う店にしたいなといった希望はありましたが予算的なところで出来なかったというのが当時の本音です。
岡崎 そうなんですね。北区のお店を閉店したあとはどうされたんですか?
今井 移転後はずっと好きであったこの世界(ネイティブアメリカンジュエリー)の専門店にしようと考えておりました。
岡崎 そこからアメリカに?
今井 そう。まずは行ってみようと。行ってみないと始まらない気がして。虎穴入らずんば虎子を得ずの精神です(笑)
今井 ただ 「行く!」 「ネイティブアメリカンジュエリーをアメリカに買いに行く!」 と心意気だけはあったものの、当時と今では時代が違うので苦労しました。携帯も無ければコンピューターもない。ということは紙の地図だけなんです。「HOPI&NAVAJO LAND (ホピアンドナバホランド)」っていう地図だったと思うんですけどそれを頼りに。その地図1枚だけ持って(笑)
岡崎 ということは全く現地にコネクションがない状態ということですよね?
今井 ない(笑)
奥様 空港付いてすぐ地図広げてどっちだみたいな(笑)
今井 とりあえず居留地に行くんだ!みたいなね(笑)
岡崎 情熱で突っ走った感じですね。