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2018-03-30 Update

藍染というワードを聞けば皆さん何となく紺色の染物というイメージはできるはず。ただ、デニムのインディゴとは何が違うの? と聞かれてしっかりと答えられる人は少ないのではないでしょうか。今回は徳島を拠点に活動し当店の5周年記念アイテムを制作していただいたBUAISOUの皆様に “藍染” とは何か。それに携わる人たちの現状や未来についてなど、色々とお話をお伺いしました。

藍染めをやりたくても、手に入らないって状態でした。

岡崎 まず「今回、はじめてBUAISOUを知った」という方のためにも、藍染制作にまつわるどんなことを普段されているかをお伺いしてもいいですか。

渡邉 BUAISOUは今、藍染めでの自社製品の製作、洋服や小さなプロダクトも含めての販売が一つと、あとコラボは少ないですけど、他社の製品を染める染屋としての仕事が一つ、もう一つはワークショップ。実体験を通して藍染めを伝えていこうっていう。その3つを大まかな柱としてやってます。

岡崎 BUAISOUとしてはいつから始めたんですか?

渡邉 2012年です。会社にする前、既にBUAISOUは作ってたんですけど、その時は、「地域おこし協力隊」っていう上板町(現BUAISOUがある町)の制度に僕と楮で来て、活動名「BUAISOU」っていうのを作って。協力隊とBUAISOUを並行して、2足の草鞋って感じでやりだしたのが始まりです。で、協力隊の活動が制度として満期3年なんで、2015年の3月で協力隊としての活動は終わったんです。

岡崎 「地域おこし協力隊」っていうのは主にどういった活動なんですか?

渡邉 ここ上板町っていうのが、蒅(すくも)の産地なので、その地域資源を使って町をPRするっていうのが大まかな内容です。それで3年満期までやってここ(今の場所)に移動して会社を立ち上げた感じですね。その時に皆集まって。みんな藍染めに対しての思いは様々で、来るまでの経緯もみんなバラバラなんですけど。自分と、楮、三浦、結城とマネジメントの西本の5人は2015年のスタートからの初期メンバーです。

岡崎 渡邉さんと楮さんはもともとお知り合いだったんですか?

いや、もともと渡邉とも協力隊で知り合ったんで。別々に徳島に来て知り合ったって感じです。

渡邉 協力隊の募集人数が2人だったんですよ。

岡崎 えっ、そうなんですね。もともと知り合いなのかと思ってました。募集ってそんなに少ないんですね。協力隊も勝手なイメージで数十人とかなのかと思ってました。

渡邉 2人だけ(笑)別々で来て、面接受けてって感じです。

僕も渡邉もお互いその時点では個人個人がいつかは藍染を職業にしたいってのは思ってましたけど。

岡崎 じゃあお二人とも先々では自分で藍染め職人になるぞって来たってことですね。

渡邉 そうですね。藍をもっと知りたいっていう好奇心と全部できるようになりたいっていう思いだけで来ました。で、ちょうど去年の4月から小薗さんと、グエンが正式に加入して、6人になって。

岡崎 自分はずっと徳島にいるから藍染の職人さんの存在も知ってたんですけど、メディアまでうまく使ってる職人さんって今まであまり居なかった気がして。恐らく僕も皆さんが会社になったあたりでよく”BUAISOU”の名前を聞くようになったんですけど、ホームページもSNSも他にはない見せ方でかっこいいなって思ってたんです。そういうのって僕が思ってた藍染職人さんのイメージとは少し違うから、余計に気になって。そういったブランディングの部分は最初から考えてたんですか?世界観というか。

いやそこまで全然考えてなくて。協力隊の仕事の内容自体が蒅作って、体験施設で藍の液建ててお客さんに指導するっていう、一貫した作業内容なんですけど、その 一貫 ていうのだけはしっかりやりたいってだけで、ブランディングなんて生まれてから今まで考えたこともなかったし。ただこんな場所でやりたいとか、その時々でやりたいことをやるってだけで。その結果、今アタフタなってたりするんですけど(笑)

岡崎 じゃあそういう部分を西本さんがしっかりとブランディングで支えてくれるって感じなんですね。

そう。僕らだけだった頃は、普通の田舎の体育館みたいなところで展示をしてたんです。最初の頃 (笑) その頃は僕と渡邉と三浦だったんですけど。服作って、作品つくってとか。それを偶然見に来た西本が「こんな良いモノ作ってんのに勿体ない」って言ってくれて。東京とかじゃなく、その時すぐにサンフランシスコに商品持ってってくれたんですよ。そこから色々と海外でのワークショップとかニューヨークにスタジオとかになっていったんですよ。

岡崎 良い話ですね。以前、お店で取り扱ってる『MOTO』っていうレザーアイテムのブランドのデザイナーさんにも同じようにインタビューを受けていただいたんです。その時デザイナーさんが「ほんとにすごいやつは田舎でやろうがどこでやろうが結局大きな舞台に呼ばれるようになってる」ってことをおっしゃってたんですけど。まさにそういうことですよね。

渡邉 いろんな人を紹介してくれたりだとか、人を繋げていただいたりだとかが多くて。それが今でも繋がってるって感じです。自分もブランディングはてんで考えてなかったんで。

岡崎 適材適所で素晴らしい人達が集まって、チームになってるってことですね。そういったチームを結成する前、渡邉さんはなぜ藍、藍染めをやろうと考えたんですか。

渡邉 僕は、ただただ好きだったって感じです。僕も前はサラリーマンだったんですよ。

岡崎 以前染色みたいなのをやってたお聞きしたんですけど。

渡邉 楮はやってたんですけど、僕は全く。体験していいなぁって。

岡崎 体験したっていっても、仕事やめて来るって、結構な覚悟じゃないですか、それぐらい藍の魅力にやられた?

渡邉 そうですね、僕はそのくちです。

岡崎 ぶっちゃけ好きだけでここまで… 今では海外でも展開してるし、ここまで来るのに苦労もあったんじゃないですか?

渡邉 もちろんそれなりの苦労だったんですけど、自分が本気でやりたいと思えて、良いタイミングでメンバー達と出会えて、少しずつ成長できたって感じですね。

岡崎 一つの物語ですよね。自分の進みたい道に同じ地図持った仲間達が集まってみたいな(笑)畑から作って染めまでを一貫してやってるところって少ないって聞いたんですけど。

渡邉 やりたいっていうのが先行して始めたんですけど、そのころから藍を栽培する農家さんが減って、藍染めやりたくても蒅が買えない。手に入らないって状態でした。

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