今回は、2016年にスタートし、私のお店でも1年半前から取り扱いを始めた自身の名前を冠したブランド、イタリア人 Isabella Stefanelli(イザベラステファネッリ)が作る代表モデルであるVirginia(バージニア)というモデルを紹介する。
生まれて初めて、私が手も足も出ず感動と震えを覚え、ただのひとことも言葉にできなかった洋服である。
まずはブランド紹介、出会いの物語、その後についてを先に書こうと思う。
:Isabella Stefanelli (イザベラステファネッリ)/南イタリア出身
テイラー(仕立て屋)であり画家でもあった父を持つ彼女は5歳の頃から針と糸を手に持ち父親の手伝いを始める。
その後イタリアはマルケ州中西部の街ウルピーノにて学生時代を過ごしファッションを学ぶ。
卒業後はミラノに移り、演劇のための衣装やプライベートカスタマーのための衣装製作をして技術を磨く。その後名だたるブランドのデザイナーを歴任し2016年、自身のブランド Isabella Stefanelli をスタート。
糸の選定から織構造の構築にまで至る生地開発、パターンメイキングから縫製、仕上げまでを自身でデザインする彼女によるコレクションは、土台となるその背景やコンセプトの上に立つことでより美しく力強いものとなり唯一無二の存在感を放つ。
※ブランドの方針として商品の価格、詳細写真などはコピーを防ぐため公開禁止となっている。このnoteで公開しているものは、私の店で撮影し許可を得たもののみを使用している。
敗北宣言(出会い)
約1年半前だろうか。
以前から知っていたが “見たらまずい” と直感的に感じていた。
価格も私が今まで扱っている洋服とは違う。流石に取り扱うのは危険すぎる。(詳細は書けないが一着単価は30万円〜100万円)
ただ、何年経ってもどうしても気になる。ひとまず国内の代理店を探したがわからなかった。海外から直接取引なのだろうと半ば諦めていたが、しばらくして、たまたま知り合いの知り合いの会社が正規代理店となっていることを知った。
早速アポイントを取ると、先方も私の店にオファーをかけようと思ってくれていたタイミングだったそうで、話はとんとん拍子に進み、マンションの一室で特別に見せてもらえることとなった。
真っ白にペンキで塗られた一室に、20着ほど並べられた洋服を見た瞬間、
「負けた」
そう思った。私の危険アンテナは間違っていなかった。
一見ただの布切れにも見えてしまう極限までシンプルに削ぎ落とされたミニマルなシルエットの洋服たちからは、驚くほど圧倒的な『強さと儚さ』が放出されている。
試着するまでもない。震えとともに心底感動した。
それなら店で取り扱わないのは不誠実。「やってみよう」即断した。
そう。私はこの洋服に負けたのだ。
全く売れなければ、負債は全て私がかぶる事になる。ただ、例え売れなくても店に来る人たちに素晴らしい洋服を見せることができる。それはきっと、お客さんたちの経験値を上げることにもつながる。店の未来とって悪いことではない。自分に言い聞かせた。
先日、予定していた春夏物が納品された。やはり鳥肌がたち震えるほどの商品たち。もうここまでくると芸術作品である。
“FE-MALE a shell of beauty”
12回コレクションテーマ “FE-MALE a shell of beauty”
male / femaleという表現は性の両極を表していますが、この当たり前のように凝り固まった考えに疑問を思うところが今季のコンセプトの出発点になっています。
人は皆、外見的(殻/シェル/shell)にはその両極のどちらかに属しているように見えるが、結局のところ内面的(殻の中)にはそのどちらの要素も持っているのが人間であり、外見的な要素だけではその人の本質は判別できない。 人の心に性別はない、その精神はその人自身のものであり、性別には支配されない。誰かを愛し、また自分が人に愛される事は性別によって左右されるモノではない。
自由なマインドを大切にし、外見や容姿、性別に囚われず、相手のマインドを尊重し、大事にする人でいたい。 人間の本当の美しさとは、人の内面に宿り、強く自由なマインドにあるというデザイナーの思いが込められたコレクションになっています。
洋服に折り込まれた物語
Isabella Stefanelliの洋服の特徴として各アイテムに実在した人物の名前がついている。代表モデルの Virginia (バージニア)というのは20世紀モダニズム文学を象徴するイギリス出身の小説家である評論家のヴァージニア・ウルフ。
その他、19世紀初頭のイギリスのエンジニアであり当時では珍しい大型の蒸気船や鉄道や駅舎のデザイン・設計などに取り組み後世に影響を与えたことで知られるイザンバード・ブルネル、あなたもご存知、20世紀を代表するアメリカの画家・版画家・芸術家のアンディーウォーホール、オードリーヘップバーン、ゴッホなど。
デザイナー自身が強く影響を受けた人物たちである。そんな偉人たちの人生を思い描き洋服を重ねていくという特殊な方法で生み出される洋服が Isabella Stefanelli が他の洋服と大きく違っている部分でもある。
奇しくも、私が作るオリジナルの洋服には実在しない人の名前をつけている。おこがましいが、個人的には強いシンパシーを感じてしまう。
Virginia (バージニア)
イザベラの洋服の中でも代表モデルと言われるVirginia (バージニア)というモデル。
1941年3月28日、コートのポケットに石をつめて自宅近くの川で入水自殺し、その生涯を終えたヴァージニア・ウルフ。書き残した遺書は「世界一美しい遺書」と言われている。そんなヴァージニア・ウルフの最後のコートをイザベラなりに表現したモデルがこのモデル。
ただ長い布に袖をつけたような極限までシンプルなデザインだが、着用時のドレープ(生地の動きかた)は美しいとしか言いようがない。ブランドをスタートした際、一流のデザイナーですら、『なぜこんな美しい形になるのかわからない』と口を揃えて話したという。彼女の手でしか作り出せない奇跡的なパターンや卓越した縫製技術でしか生み出せないモノ。そのため、コピー商材も生まれた。ブランドの詳細を伏せ始めるのもこの頃から。
素材は自身のアトリエで彼女自身が手織機(日本昔ばなしなどで見たことがあるだろう)で様々な太さの100色を越える糸を使って表現されている。生地を織っていく中での閃きや気づきを、生地の質感や色調に落とし込み、新しいコレクションのテーマやストーリーに輪郭や温度を与えていくという過程を経て生み出されている。
飾り立てたデザインを入れることでかっこよく見せたり、個性を出すというのはある程度キャリアのあるデザイナーであれば可能である。ただ、その逆をひたすらに突き詰めるイザベラのような洋服はある意味一切のごまかしが効かない。本当に一握りの人しか作ることすら許されない領域。培った技術を手に宿しながら精神をすり減らし極限まで自分を律して真摯に洋服と向き合うからこそ生まれる洋服である。
言葉の限界
時間と情熱を込めて作られる洋服は数々あるが、この洋服に関しては、そんな言葉では到底追いつかず、ある種「度が過ぎている」という表現が一番しっくりくる。
物語の厚みが圧倒的すぎる。
そんな度のすぎたモノだからこそ、私は無条件に感動させられ心揺さぶられるのかもしれない。その場の空気を変えてしまうほどの洋服、
そこには経験や言葉など全くの無意味である。私も20年洋服を扱っているがここまで説明のつかない洋服は経験がない。
店でも「デザイナーも含め、このブランドの洋服を100%言葉で説明できる人は存在しない」そう伝えている。私がこの先、何十年たってもこの洋服を真に理解できるには至らないだろう。
半年前、このバージニアコートを即決で購入した女性がいる。東京でスタイリストをしていたが、結婚のタイミングで徳島に来たそうだ。『こんなの見たことない。他を探してもなさそうだから仕方ない』そう言って購入してくれた。結局はこの女性のように直感的に肌で感じてもらうしかない。
『仕方ない』
私も同意見である。デザイナーが魂をすり減らし生み出す作品。多少販売に苦戦しても “芸術” をまとえる洋服なのだから仕方ない。
『売れるものを売る』のは誰だってできる。『売れないが素晴らしい』モノをどうやって販売していくか?どうやって伝えていくか?
それを真面目に考えるのが私の仕事なのだから。